2019年5月27日

看護部長 宮崎「看護の心をみんなの心に」

 5月12日は看護の日です。看護の日は、ナイチンゲールの誕生日が5月12日であることが制定の由来です。看護の日にちなみ、ナイチンゲールの生涯をたどってみたいと思います。

 

 ナイチンゲールは1820年5月12日、イタリアの富豪な家庭の次女として生まれました。社交界の華とされながら卑賤な職業であるとされていた看護婦となることを希望しました。
医師と看護の知識と技術を得た後、ロンドンの病院で監督として看護体制改革に着手。私財を用いて近代的な設備を作り、看護婦たちの状況改善に努めました。
その後クリミア戦争が勃発し、ナイチンゲールは陸軍病院看護婦総監督としてクリミア戦争へと従軍します。医療や看護への不理解から来る不衛生や多数の前時代的な規則が横行し、地獄の様相と化した戦時医療の改革を務めるべく、彼女は奮起します。

 野戦病院において当初ナイチンゲールら看護団の『看護行為』は一切認められていませんでした。また、劣悪なる衛生環境により病気を発症する患者が多発します。その中どこの部署の管轄でもなかったトイレ掃除から始め、清潔な医療器具を用意し、環境改善に寄与したのがナイチンゲールでした。一時、戦時医院での死亡率が跳ね上がったものの、ナイチンゲールは清潔な衛生と正しい看護を徹底し、惜しみなく私財をなげうって物資を揃えた結果、40%近かった死亡率を5%までに抑えてみせたのです。後年には推測ですが、病院での死亡者たちの死亡原因の多くは傷によるものよりも不衛生による感染症の蔓延が原因だろうといわれています。
 彼女は活動を続け、改革のために医院の記録分析を進めた行為は、統計学の先駆としても知られています。私達の印象では、看護の地位を高めた看護婦としてのイメージが強いのですが、実際にナイチンゲールが看護師として負傷兵たちに奉仕したのはクリミア戦争従軍時の2年間だけだったのです。

 ナイチンゲールは37歳の時に心臓発作でたおれ、その後は虚脱状態に悩まされることになりました。死去するまでの50年間はほとんどベッド上で過ごすこととなり、本や原稿、手紙を書くことが活動の柱となりました。そして81歳の時には完全に失明、90歳で永眠しました。

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