2018年7月2日

坂井典子理事長 「崎陽会50周年にちなんで」

~日の出ヶ丘病院の歴史その② 初代事務長について~

 

 前回は初代理事長隈部久子の話をしたので、今回は初代事務長である私の父についてお話をしたいと思います。

 父は昭和9年、長崎で生まれました。11歳の時に終戦を迎え、原爆投下の翌日には祖父と疎開先から長崎市内の爆心地に赴き、「後学のため」に2時間あまり散策したとのことでした。父はとても勉強熱心で長崎市内の進学校で学び、大学は一橋大学に入学しました。母とは里帰りで長崎に戻った際お見合いで結婚したそうです。

大学卒業後は大洋漁業(現マルハニチロ株式会社)に就職しましたが、私の祖母が病院を建てる際事務長として呼ばれた為、会社を退職し、家族を連れて当時の日の出村に来ました。

父は文章を書くことが趣味で、当院が発行している季刊誌を始めたのも事務長である父でした。また、元々体を動かすことも好きだったので、病院に入ってからすぐに野球部を作りました。私が幼い頃は、近くの病院や施設との対抗試合に、よく応援をしに出かけたものです。しかし母が理事長となってすぐに肝臓癌が見つかり、23年間事務長を勤めた後、平成3年、57歳の時に当院で亡くなりました。

先日50周年記念誌を製作するため昔の資料を捜していると、当院の開設20周年誌を見つけました。そこには、当時事務長だった父の文章が残っていましたので、抜粋してご紹介します。

『20周年を迎えて、創立18年目に初代理事長隈部久子が新館落成を見ず急死。19年目に16年間その職にあった福井谷牧太郎院長の昇天。そして20年目に理事長大蔵葉子の誕生。この数年の激変、激動ぶりはそれまでの10年間の惰眠から目覚めるに十分なものがあった。人生失意泰然、得意淡然でありたいもの、広い心で理想を追求していきたい』

この失意泰然、得意淡然という言葉の意味は、「物事がうまく行かなくなっても焦らず落着いて時節の到来を待つべき、うまく行かない時期をうまく乗り切った者のみが成功する。スランプは有効に生かさなければならない。」という意味だそうです。

昨今、病床稼働率の低迷、診療報酬の減算、困難な人材確保など、医療・介護業界を取り巻く環境は、益々厳しさを増していますが、父の時代と同じように「焦らず落ち着いてうまく乗り切る」、そしてこれを「チャンスと捉え、有効に生かして」いきたいと思っています。今後とも皆さんのご協力をどうぞよろしくお願いします。

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