2018年5月21日

坂井典子理事長「崎陽会50周年にちなんで」

~日の出ヶ丘病院の歴史その① 初代理事長:隈部久子ヒストリー~

 

今年、日の出ヶ丘病院は創立50周年を迎えます。50年を振り返り、創設者の初代理事長「隈部久子」(私の祖母)についてお話したいと思います。

ロシアで生まれた祖母は、幼い頃、第一次世界大戦後の日本への引き揚げ船で、長崎港へたどり着きました。親を亡くし孤児であったため、その後「隈部家」の養女となり長崎で育ちます。隈部の家は貧しかったため、手先の器用だった祖母は、小さいながらも家計を助けるために、切れ端の布で靴や造花を作って売っていたそうです。

10代の頃、年の離れた祖父に見初められ結婚し、10人の子供に恵まれました。(2人は早逝したため8人兄妹になり、会長(私の母)は長女です。)

1945年、長崎の原爆投下の被害を受け終戦を迎えます。終戦後、元来の手先の器用さを活かして、長崎市内に造花店「二葉屋」を開業し、日本が高度成長期を迎えたこともあり、造花だけでなくお祭り用品や人形、生花等を扱う大きな店へと発展しました。

子供達が皆成人した頃、祖母は店を長男に譲り、『東京の西のはずれに医療が届かない地域がある。そこの人たちに医療を届ける』=『病院を作る』という一大プロジェクトに着手します。(何故、東京の西のはずれを選んだのかは不明ですが・・・・・)

建設業者が設計図を作ると、私の母とのちに事務長となる父が、その設計図の青写真を手に先発隊となって、当時の『西多摩郡日の出村』に初めて入りました。

建物が完成した頃、祖母が長崎から上京し、1968年(昭和43年)、祖母が理事長となり、病床数138床の日の出ヶ丘病院がスタートしたのです。

日の出ヶ丘病院開設から19年後の1987年、祖母はくも膜下出血により急に亡くなります。その後、私の母の大蔵葉子が理事長を引き継ぎ、今へとつながっています。

~『崎陽会』の『崎』は、祖母が日本で育った街“長崎”からとっています。~

 

 

 

 

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